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曹洞宗の寺院で、十五代政朝から十八代秀康までの結城家四代により完成。元禄期に水野氏支配となってからは、結城水野家の菩提所となりました。境内西側には御朱印堀がみられます。地図へ

境内の大欅群は市天然記念物に指定されています。4月には太々神楽が奉納され、11月15日が例祭です。地図へ

「九尾の狐退治」で知られる源翁和尚の墓です。師は安穏寺を禅宗(曹洞宗)に改宗し、寺には殺生石を砕いた時に用いたといわれる数珠と払子が伝えられています。地図へ

新義真言宗豊山派の寺院。弘法大師作といわれる不動明王木像は、平将門が京都・東寺から持ち帰ったとされています。毎月28日が縁日で、特に1月は遠くからもたくさんの参拝者が訪れます。地図へ

十六代政勝は、城下町発展のため堀内に町人を住まわせ、特定の商工業者の地代を免除して保護しました。『朱印状なき御朱印堀』と呼ばれた掘り割りの跡が、孝顕寺、弘経寺、光福寺などの境内に見られます。地図へ

旧結城藩水野家の祖、水野日向守勝成公がまつられています。勝成公は当時、稀にみる長寿で88歳で他界し、生前の業績から聡敏大明神と称せられました。 地図へ

長徳年間(995〜998)に建立された寺院を、明応8年(1499)に山川家11代民部少輔朝貞公が現在の場所に移し、禅宗に改めました。以後山川氏の菩提所となり、幕末には天下の名僧・原担山和尚が住職されました。地図へ

見晴町の東にまつられていた健田神社が、明治に須賀神社と合祀され現在に至ります。1月にはだるま市や菊花展、4月には太々神楽、7月には夏越祭が行われます。例祭は11月15日です。地図へ